3月26日(月)
風邪気味な状態が続いていて何とも憂鬱でございます。
昨日は雨で御座いました。
春の雨は山々の木々の芽を芽吹かせる大事なお湿りではあるのですけれど。
こんな日は人間、ろくな事を考えません。
自分で自分を救わないでどうすると思いながら、今日は半日うつらうつらと
眠っておりました。
話は唐突に変わりますが、御婆さんと孫のお話を書きたいと長い事思ってお
りました。
子供の位置に立ったお話を展開するわけですから、当然の事ながら100年前
ぐらいの祖母の時代考証をしなければなりません。
怠け者の私は、いつもこの事態の前で挫折しておりました。
それに、あれは中学生の時でしたか友達とお話を作って当時の国語の先生に
見てもらったことがありました。
「何を書きたかったの?」 返ってきた言葉です。
何を書きたいのだろう? 書きたいという想いと書きたい事の関連性が見つ
からないまま時だけが流れていったように思います。
それなのに口角泡を飛ばして作品論などを論じる時、やはり大事になるのは作
者が何を書きたかったかという事。
それが私たちの生きる上でのかかわりの中でどう評価されるかなのです。
さて、一つの問題が解決されようとしています。
私がお祖母さんになって、私の生きた時代を書けばよくなった事です。
そう、不確かな時代考証が不要になったのです。
それから年を重ねて厚顔になってきた私は、書きたいという想いをただ書けば
良いのだと自分に許す事が出来るようになって来たのです。
写真はコタツの上のビビアンです。
この写真の後、彼女は足許のシャーペンを猫パンチで飛ばしました。
腰曲げて拾いしペンの重さかな 風うさぎ
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