12月5日(火)
月天心貧しき町を通りけり (蕪村)
夜勤のJ氏を見送るために外に出ると、空は14.2の月齢のお月様。
蕪村の俳句を心で2.3度唱え、J氏の車が道の角を曲がって消えると、あたふ
たと家の中へ。
さむ~いのです。
さて、ワイス博士の前世療法のその後の話ですが、基本的に何処かで「前
世」なるものを疑っているためか、なかなか私の脳裏に「前世」は顕われませ
ん。ただ忘れていた数々の子供の頃の風景は思い出しました。
裏山の谷間のひだまり。古い板壁の節穴。雨戸の穴が障子に投影する小さな逆
さまの風景。壁に落書きされていた漢字一文字。火だったか水だったか?
土ぐもの巣を引っ張り出す時のドキドキ感。にぎったおけらの命の感触。あれ
これあれこれ。見上げた風景、俯瞰した風景もあるには有るのですが、ほとん
どがしゃがんで覗いた小さな世界の風景です。
末っ子で甘やかされて育ったと、よく姉たちに言われましたが、意外なほど私
の側に母親はいません。
ほとんど祖母に連れ歩かれています。
では、お祖母さん子だったのかと言えば、他所の家で嫁の愚痴を言うその言葉
に小さい心を痛めていたりします。(心に緊張感がありました。)
母親は仕事に忙殺されていたのでしょう、父親が病弱でしたから。
裏山の谷間の陽だまりが母親の懐であり、胎内だったのだと思います。
ほんとに小さな頃からあの家を後にする寸前まで、私は淋しくなるとよく裏山
に行っていました。
傍らで水が湧いていました。冬は枯葉が積もり、早春にはカタクリが谷を薄紫
に染めました。鴬いろの苔でつくられた、小さなお椀ほどの鳥の巣。
からすが、木の根株に埋め隠した栗の実の瑞々しさ。
ああ、こんな事を思い出して果たして私は癒されるのでしょうか?
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