11月22日(水)
先日、長女さんとカール・ブッセの「山の彼方の空遠く」の原文はどうなっ
ているのだろうという話になった。
「海潮音」に載せられている上田敏訳のこの詩を、子供心に諳んじて幾星霜
今、改めて思うに何か解かったようで解からない詩だと言うことに気が付い
た。が、確かに今更人に聞けない話ではある。
ともかく、原文はどうなっているんだとの話になり、長女さんが調べてくれる
事になりました。
そして、一昨日そんなことはすっかり忘れていた私に長女さんのメールが届き
ました。
そして、ああ何たる事、油断しておりました。
カール・ブッセ氏はドイツ人だったのです。
原文は勿論ドイツ語。 そして人間学んだ事の無いものは何一つ解かるもの
ではないんですね。
と、言う事で今回は私の名(迷)訳の「山の彼方の空遠く」です。
どっかに行けば幸せが見つかるかも知れないって
みんな村を後にして出て行くから
おいらも若いときふら~っと山を越えて旅にでてみたさ。
それで「幸せ」はみっかったかって?
いいや、田舎もんにゃあ世間の風は冷たくて
毎日、食うや食わずの生活に泣き暮らすしまつよ。
結局老いさらばえてまた一人村に戻ってきちまった。
なあに、もおっと遠いお山の向こうならね、あそこならきっと「幸せ」が
有るにちがいないさ。
遠い空の向こうでおいらを呼ぶ声がこの頃よく聞こえるんだよ。
あそこならね、きっと本当の幸せがあるに違いないよ。
室生犀星氏の「小景異情」の中に
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやここにかへらばや
と相対するような詩がある。
でも、「山の彼方に」の詩の方が帰る故郷がある分だけ幸せなんですかね?
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