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風うさぎの日記
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kaki


       11月18日(火)

 春陽のもとでの柿の葉の芽生えは、実に明るい緑色に輝き、何処にあっ

ても柿の木は柿の木と分ったものでした。

それから柿の木は少しばかり季節に埋没し忘れ去られ、

柿の木が柿の木と再び自己を主張し始めるのは、守り育てた柿の実が赤く

熟れ、もう守るお役目が終わったとばかりに、すっかりその葉を落ちつく

す時でございます。

人も鳥もまるで手品を見せられたかのように、驚いて家々の庭や畑のたわ

わに実った赤い柿の実を見上げるのです。

そそくさと沈む夕陽の形見の様に幾つかの柿を買い求め、その店先でしば

らくクリスマスの電飾を楽しみました。

夜の長い季節がやってまいります。

(我が家の梅の木にも何かひとつ飾ろうか?)

(サンタさんかな?お星様かな?あ、この色は少し派手かな?)

どんな時でも心楽しく暮らしていかねばなりませぬ。


   柿熟れる里に流るる「家路」かな   風うさぎ




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rin-niwa


      11月14日(金)

 今日は県民の日でした。

良い天気でしたので、何処ぞに出かけようかと考えている時に、次女さん

からメールが入り、そうだ次女さん所に行こうと思い立ち、出かけて来ま

した。  彼女は二人の子供に恵まれて一生懸命子育ての真っ最中ですが

、まあ大変そうです。 髪振り乱して奮闘中の彼女に、新川和江氏の詩を

一編贈ることに致しましょう。


   大地はまだ、、、、


大地はまだ

まっかな林檎やきんいろの蜜柑を

こんなにもころころ

とり出して見せてくれるのだもの

その上に今生きている私たち

大地をまねて

新しいいのちを生み出さなければならない

花咲き 種子となるものたちを

すこやかに育てなければならない


空はまだ

鳥たちを自由にはばたかせ

窓という窓に陽光を届けてくれるのだもの

その下に今生きている私たち

空にならって

ひろい心を持たなければならない

暗い夜には月と星をちりばめて

この世を明るくする

灯の点け方を覚えなければならない


海はまだ

たくさんの魚を泳がせ 貝を眠らせ

はかり知れない涙を混ぜ合わせて

だいじな塩をつくっていてくれるのだもの

海に囲まれ 今生きている私たち

海と同じく

いつも豊かに満ちていなければならない

母よ と呼んでくれる者たちのために

子守唄をうたいつづけていなければならない


     新川和江   「お母さんのきもち」より

daria

         11月13日(木)

 ここのところ曇天の寒い日が続き、炬燵やらエアコンやら湯たんぽやら

と暖房器具が総動員しておりましたが、今日は数日ぶりの晴天です。

最も、今日はJ氏の陶芸教室の日でしたので、彼は早朝から手提げ袋にエ

プロンや焼き物に使う小道具を放り込んで、そそくさと出かけてしまいま

したので、私はビビアンと部屋の中で大人しく留守番と相成りました。

結局、外出できたのは午後6時近く、すっかり日が落ち東の空に月齢15.2

のまあるい月が顔を出してからの事でした。

今日はビビアンの、年に一度の五種予防接種の日でしたので、隣町のB動

物病院に向かったわけです。

車で移動することの大嫌いなビビさんは、いつもなら車の中で鳴いたり動

き回ったり、大騒ぎするのですが、今日は辺りが暗いせいか、はたまた空

に、ぽっかりと明るい月がお出ましになっているせいか、窓に近寄って空

を見上げたりなどして、実に神妙な面ものぞかせたりするのでした。

月に猫、う~ん月に猫。 

さて、話変わって写真はダリアの花とアカタテハです。

子供のころ私はダリアの花が苦手でした。

ダリアのきつい香りと、少しコケテッシュな風貌と何よりダ・リ・アとい

うネーミングそのものが花の名としてきわどいものの様な気がしていたの

です。 母は花の好きな人でしたが、藤やひなげし、白いつつじや濃紫の

芍薬など楚々として清潔な感じの花が好きな人でした。

そんな母がたぶん50歳を過ぎた頃から、友人から戴いたものか、花屋さ

んから買い求めたものか、庭の端にダリアの球根を植えてダリア、ダリア

と言い始めました。

秋の陽だまりに咲く、ダリアの花を見つめていますと不思議なもので、

私は私ではなく母の眼を通してこの花を見ているような気がして参りまし

た。 真っ白なダリアも赤い大ぶりなダリアも赤と白のポンポンダリアも

みな素敵で、ダリア特有の花の香りも、今はすっきりと胸に落ちてくるの

です。  これが母と娘の絆というものかと、思い至ったりもする今日こ

の頃です。


totoro-naosi


        11月11日(火)

 コスモス畑の向こうの高台に立っている大トトロが最近すっかりくたび

れ果てて、見るのも気の毒な状態になっていました。

もう少しちゃんとしたメンテナンスをして上げたら良かろうにとにと、長

い事思っていましたら、この度何と、トトロは目玉だけ残されてやっと改

修される運びとなったようです。

近日中に、青々とした杉の葉でふっくらと生まれ変わったトトロさんを

紹介できるやもしれません。

楽しみです。



momizi-kenmin

         11月8日(土)

 一昨日、とうとう今年も炬燵を出してしまいました。

と言うか正確には出してもらったわけで、自分で出した訳ではありません

。庭の木を剪定したり、車を走らせたり、買い物を運んだり、こうした事

は全てJ氏がやっていることで、万一私だけがこの世に残っても途方に暮

れるだろうと、この頃思います。

秋深い秩父の山の九十九折を、多少荒っぽい運転で毎度登ってくれますが

そのうち、運転できなくなる日が来るのでしょうか。

紅葉した山の中にいるとまあ、ついそんなことも考えてしまうのですが

しかし今は今を、しっかりと生きていくことが大事なのかも知れません。

今、図書館から借りた「法華経はなにを説くのか」 久保継成

を読んでいますが、この本によりますと「さとり」とは仏だけが目指す遠

く高いところに在るのではなく、日々の私たちの「気づき」の中に在る

のだと云うような事が書かれているようです。

人は何かに気づいたら、その人だけに備わった手段で必ず生活に反映させ

ていく事が大事なのだそうです。

つまり宇宙の真理であるところの「ブラフマン」を同じ宇宙を内に宿す

個としての「アートマン」が黙想によって気づいたなら、それを人々の

為に表現していくのが、いわゆる菩薩行なのだと言うことでしょう。

「気づく」にはやはり立ち止まり、静止し黙想することが必要なようです

。ここのところ読んだ本の全てにそう書いてあったのでやはりそうかと思

います。   立ち止まり私の耳に聞こえてくるものに心を傾ける。

まずはこんな所からはじめますか。





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