風うさぎの日記
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一年間の闘病生活を終えてプク(猫)が死んでから1ケ月になろうとしている。台風直後の荒川を越えてとある動物病院に保護されていた子猫をもらってきたのが一昨年の十月だった。 彼女に症状が現われ出したのは半年後の春先辺りからで、歩行困難と排便排尿困難が主たる症状だった。 獣医の診断は進行性脳性麻痺というもので、治癒は難しいだろうとのことであった。 確かに、週1回の通院で注射や投薬をしてもらったが、症状は少しずつ悪くなる一方であった。 彼女が激しいテンカンの発作に見舞われ、病状が急変したのは昨年の11月初めだった。 その日以降、彼女は立つ事も、無論歩く事も、自ら食事をする事も、排便排尿も不可能になった。 動物病院をかえて診察してもらったが、やはり診断は変わらなかった。 だが、ほとんど食欲すら無くしていた彼女がその病院で出してくれた特別療法食をよく食べるようになった。 すりつぶした薬を混ぜ込み、抱き上げてスプーンで与えるのである。 2~3日に一度の点滴もはじまった。 便と尿の出し方も教わり、寝たきり猫となったプクとの生活が私の生活の全てとなっていった。 昼は私のベットが彼女のベットになり私は側の椅子で本などを読みながら彼女を見守った。 夜は私がベットに眠り、彼女が椅子に眠った。 夜、目を覚まして彼女の寝息と体の温かさを確認して安心して又眠った。 そうこうして年も改まり、春浅き頃、私に子宮がんの診断がくだった。 検査入院の十日間と手術のための3週間、プクの世話は次女が引き継いでくれる事となった。 母親の入院と寝たきりの猫と、自分の猫と旦那さんのお世話が、妊娠4月のつわりで苦しむ彼女の肩に圧し掛かっていったのだ。 次女は本当によく頑張ってくれた。 なんとか退院して、再びプクとの生活が戻ってきたが、再びプクを襲った激しい発作の後、あれだけ一生懸命食べようとしていた餌を全く受け付けなくなった。食べるとお腹も痛むらしいのだ。 発作の回数も多くなってきた。 本来鼻腔から流し込むという水のような餌が処方された。 生きとし生けるもの、自らの意思で食べなければ終わりだよ。 後は長い眠りが助けてくれるかも知れないけど、そうする? 最後の2~3日、繰り返す発作をなだめながら、私はプクに話し掛けた。 それは、この度の入院で私が深く学んだ事のひとつでもある。 言葉を口にすると耐え切れずに目から涙が流れ落ちる。 その涙を感じて、プクが目を閉じたまま私を見上げた。 いつになく優しい表情を浮かべて、私が泣くたびに私を見あげる。 「いいよ。そうしょう」 それが彼女の答えであった。 私の手術から丁度、1ケ月後の6月9日彼女は何一つ抵抗することなく安楽死の道をたどった。 彼女は呼吸を止めてもずつと暖かかった。 その温もりの記憶だけが手のひらから消えない。 私にいかに生きいかに死ぬかを教えて彼女は去っていった。 再び日記をつけ始めるにあたってやはりこの事を無視して通れないと思い書き記すことにした。 PR |
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