2月3日(火)
今日は節分です。
鬼は英語では「Demon」だそうですが、八百万の神々を持つ日本において
鬼=Demonと訳すのは少しばかり疑問が。
私が初めて鬼というものを認識したのは小学1年生の授業で、S子先生が
見せて下さった紙芝居「泣いた赤おに」の中でした。
以来、鬼は何かせつない孤独の影を落として私の心の隅に住み着くように
なってしまいました。
それにしても、同じ鬼の出てくる童話は「桃太郎」など色々ありますのに
小学1年生の私たちに何故に「泣いた赤おに」だったのでしょう。
授業の一環の紙芝居でしたから、当然S子先生は紙芝居を見た後の感想や
「鬼」の気持ちなどを質問してきたに違いありませんが、S子先生率いる
55名の1年生は当時、一体何をどう答えたものやら。
心に渦巻く泣きたいほどの感銘を、小学一年生の言語能力でどこまで開示
できたか記憶に定かではありません。
さて、先日映画「禅 zen」を観て参りました。
中村勘太郎演ずるところの道元の生涯を描いた作品です。
当日は平日にもかかわらず、中高年の女性客で満席でした。
「綾小路きみまろ」の舞台でも無いのに一体何だったのでしょう?
ま、それはともかく「宋」に渡って師を探し求め、「如淨禅師」のもとに
悟りを得、許されて帰国するも様々の迫害を受けながら、人々の心の平安
のために曹洞宗の教えを開き広めた道元を、中村勘太郎は本当に良く演じ
ていたと思います。
映画の3分の一は中国語でした。 それに厳しい坐禅修行の所作。
役者さんてなんか凄いですよね。
学生時代「鈴木大拙」氏によって「禅」は世界に紹介され、世界が「禅」
に着目し始めておりましたが、「只管打座」。
まずは座らない事には、悟りの道も遠いものと思われます。
凍てつきのゆるむ時こそ鬼は泣き
豆を食み鬼を友とし茶をすする 風うさぎPR