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風うさぎの日記
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hotarubukuro

         6月11日(月)

 森鴎外の「舞姫」を読みました。

長女さんが置いて行った高校の教科書に載っていたものです。

短編なので全文掲載されていて、難解な言葉は教科書だけあって注釈が欄外に

記されていたので、何とか読む事が出来ました。

小説ではありますが、鴎外自身のドイツ留学時代の出来事が元になって書かれ

ているものと思われます。

明治の時代にドイツ語とフランス語をマスターし20歳前に東京帝大医学部を

卒業したという近代希に見る秀才の鴎外が、官費で留学しドイツの医学を学ぶ

とともに(小説では法学部を卒業し、政治学を学ぼうとするも、そうした学科

が無かったので法学の講義をとる、なっています。)ドイツ哲学、ドイツ文学

に触れて近代的自我を確立していくわけです。

そして、貧しくも美しい踊り子との恋。

しかし、鴎外は彼女を残して帰国し、前近代的日本の政府に仕え、軍医として

軍法に準じて生きていくわけですから何をか言わんやです。

おそらく彼の心の中は常に二律背反の葛藤を繰り返す人生だったのではないか

と推測されます。

であれば、功成り名遂げた後、死に臨んで「ふん、くだらない」と言っても

それは有り得る事だろうと察しはつきます。

彼は墓石に一切の肩書きを排し「森 林太郎」の名前で眠っているという事で

す。        

  写真はホタル袋の花。関東はピンクのホタル袋が主流です。

故郷では「あめふり」といってこうした白いホタル袋が咲いていました。

      朝草を刈りて帰りし母の手に白きあめふり握られてあり






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tani


       6月8日(金)

 銀河の丘を超えて散策しますと、鴬と、不如帰がしきりに鳴き交わしている

のが聞こえます。  谷は底を流れる小さな水の流れも見えないぐらい夏草に

覆われてしまいました。

そんな緑の谷を何やら真っ白にふわふわしたものが、幾つも幾つも谷から湧き

上がっては流れていきます。

精霊というか、けさらんぱさらんというか、なにかそんなものです。

さて、「14歳からの哲学」ですがこれはなかなか凄い本でした。

ア・プリオリとかアポステオリとかブラフマンとかアートマンとか、空とか色

とかそんな言葉を一切使わず、噛み含めるように考える道筋、存在、生と死

宇宙と科学、善と悪etc.etcを説いているのです。

「41歳からの哲学」に見受けられるようなジョークもブラックユーモアも

抜きで、これからの若い魂に正面から真摯に向かい合ったものです。

14歳という年齢でこうした人生の先達に出会えた人はきっと幸せです。

私などは考える事の煩雑さに負けて、放棄してしまった「思い」が累々として

人生も終わり近くなって来ていると言う有様です。

まあ、考えるに遅すぎる事は無いと言いますから、これからせいぜい頑張る事

と致しましょう。

bakusyu

     6月1日(金)

 今日から6月です。

山に水汲みに行って来ましたが、山はすっかり夏の風情です。

緑が濃くなった分だけ、山の抱く影の色も深くなってきています。

あれだけ咲き誇っていた花の姿が消え、花かと思うとマタタビの白い葉の茂り

だったりします。

空に浮かぶ雲も夏の雲です。

畑は麦が黄金色に熟れて、いわゆる麦秋の輝きです。

この眺めも入梅前に刈り取られるでしょうから、後 数日の景色だと思います

。 今日、庭の梅の実をJ氏に収穫してもらったので、明日は朝、梅酒を造ろう

と思っています。

本は、「14歳からの哲学」(池田晶子)と「蜻蛉日記」の同時進行。

音楽なら邦楽とクラッシックを同時に聴く様な妙な気分です。

ともあれ、時の流れは速いのですし、私も少し駆け足しないとね。
sakadonokesi

         5月29日(火)

 さて、数日前から池田晶子氏の「41歳からの哲学」を読んでいます。

哲学ですから内容は「生きる事とは」とか「死ぬ事とは」とか書いているので

すが、死はあくまで個人的なことな故、自殺をもって責任を取ることは出来な

いとのくだりがあって、そういう意味から言っても某大臣の責任の取り方はい

かがなものでしょうか。

問題の所在を闇から闇に葬っただけで、責任を取ったとは言い難いからです。

この度初めて池田氏の本を読んで感じた事を誤解を恐れすに言わせて貰えば、

思春期の真っ只中に1999年の末世思想に洗礼を受けた人間の匂いを感じま

す。  我々団塊の世代には我々の世代の匂いがするように、私はこの時代の

人々は我々には無い虚無的な「何か」を背負っているように思います。

又、私などは人の人生や道端の花や石から、演繹的になにやら形而上学的なも

のを汲み取ろうとする訳ですが、哲学者であるところの彼女は、多くのロゴス

から天才的に学んだ形而上学を帰納的に展開してくるもののようです。

「人間なんぞ たかが虫ケラ」などという過激な言葉の見出しが目に飛び込ん

できて、(そうかも知れないけどそう言ったら身も蓋も無いじゃない)とか思

ってしまう所も多々有るわけです。

まあ、もう少し「14歳からの哲学」や「新.考えるヒント」などをも読んで

彼女の思索の深さを探ってみましょう。

 写真は若葉のポピー畑です。



seitengu

    5月28日(月)

 今日は妙に寒い風が吹いていますが、昨日はひどく暑い一日でした。

金曜の夜に帰ってきていた長女さんが、父の日に何かプレゼントしてくれると

言うので、彼女を送りがてら川越に車を走らせました。

この絢爛たるお寺(?)はその途上にあります。

数年ぐらい前だったと思いますが、静かな畑中に忽然と現れた建物です。

横浜中華街ならいざ知らず、この辺りでは実に場違いな感を否めません。

比較的手ごろな入場料金で拝観出来るとの事ですが、好奇心だけでは門をくぐ

れない何かが心をセーブしてくるのは端的に言えば、ちょっと怖いのかも知れ

ません。  聞く所に依ると異国のお金持ちが夢枕に神様が立ち、この地にこ

のようなお寺を建てるようお告げがあったのだとか。

遠くからだと判らないのですが、近づいて見ると人や動物や何やかにやらの彫

刻で、埋め尽くされたような建物です。

寺の前は一面のポピー畑。

三途の河原から見えるあの世の様?とはいっても誰もあの世を見た人は居な

いのですが。

暑すぎる日の蜻蛉立つ風景の中で、花摘む人々の姿はしかし確かに、この世の

人々だったのでしょうか?定かではありません。



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