5月29日(火)
さて、数日前から池田晶子氏の「41歳からの哲学」を読んでいます。
哲学ですから内容は「生きる事とは」とか「死ぬ事とは」とか書いているので
すが、死はあくまで個人的なことな故、自殺をもって責任を取ることは出来な
いとのくだりがあって、そういう意味から言っても某大臣の責任の取り方はい
かがなものでしょうか。
問題の所在を闇から闇に葬っただけで、責任を取ったとは言い難いからです。
この度初めて池田氏の本を読んで感じた事を誤解を恐れすに言わせて貰えば、
思春期の真っ只中に1999年の末世思想に洗礼を受けた人間の匂いを感じま
す。 我々団塊の世代には我々の世代の匂いがするように、私はこの時代の
人々は我々には無い虚無的な「何か」を背負っているように思います。
又、私などは人の人生や道端の花や石から、演繹的になにやら形而上学的なも
のを汲み取ろうとする訳ですが、哲学者であるところの彼女は、多くのロゴス
から天才的に学んだ形而上学を帰納的に展開してくるもののようです。
「人間なんぞ たかが虫ケラ」などという過激な言葉の見出しが目に飛び込ん
できて、(そうかも知れないけどそう言ったら身も蓋も無いじゃない)とか思
ってしまう所も多々有るわけです。
まあ、もう少し「14歳からの哲学」や「新.考えるヒント」などをも読んで
彼女の思索の深さを探ってみましょう。
写真は若葉のポピー畑です。
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