12月12日(土)
街にイルミネーションが華やかに灯り、いよいよクリスマスシーズンの
幕開けです。
今年は私たちも、ツリーに飾るオーナメント(銀色の球)と外飾用のライ
トをもう一つ買い足しました。
ツリーの電飾が点滅しながらクリスマスソングを奏でるものですから、
なかなか集中して本が読めなくなっています。
(まるで、子供の様ですな~)
久世光彦氏の「花筐」(はながたみ)という本を読んでいます。
北原白秋、三好達治、西城八十、佐藤春夫、伊藤静雄、津村信夫、
萩原朔太郎、中原中也を中心とする詩論という所です。
詩人は詩人である所だけを見ればよいと言いつつ、読書量が膨大になり
詩人に対する知識も多くなると、どうしても多方面からの切り口を披露し
たくなるというのが、知識人の陥りがちな矛盾と云うものかもしれません
。 それはそれでまあ、良いとしても三好達治の萩原アイ、佐藤春夫と谷
崎純一郎の間の谷崎千代、中原中也と小林秀雄の間の長谷川泰子などの
女性の取り扱われ方がまるで人形か道化のようで、余りにも傷ましい。
彼女たちには彼女たちの、孤独と地獄があったであろうにと思うのです。
これまで、いかに女性の側からの切り口の研究がなされて来なかったとい
う事ですかね。
ともかく、それでも人様が心血注いで書いたものには、その時々ビック
るするような発見もあって、三好達治の「乳母車」の乳母車を押す「母」
とは「天皇」かもしくは「天皇制」であるという久世氏の論があってホォ
ーと、この論の前では絶句してしばし佇んでしまいました。
論と云うものは当然論じる対象を明らかにするものではありますが、論じ
る側の人間像も,否応なく浮き上がらせるて来る所が、面白いというか、
怖いところですね。