12月7日(木)
J氏は2日続きの夜勤で、今日も昼過ぎの帰宅となります。
ひとり、12月の寒い朝焼けを窓辺に臨みながら、今年もクリスマスツリーを
出さねばならないのだろうかなどと考えています。
私の部屋で微笑んでいる、平山郁夫氏の描いたガンダーラの仏頭の美しい微笑
みに相談してみたりして。
昔、学生時代の友達が「大好きな絵葉書だけれどあげる。」といって下さった
もので、あまりにも美しいお顔なので写真立てに入れて部屋に飾っているので
す。この他にJ氏の「楊貴妃観音」。奈良、法華寺の「見返り観音」などの写真
が、それぞれの部屋の何処かに忘れられたように置かれています。
「君らは大学生といっても、旧制高校レベルだね。」
と、少々呆れながらも、小さな灯火を掲げて「一隅を照らすのも仏心」とばか
り、我々を導いて下さったのは哲学科のY教授でした。
大阪のN寺の住職でもあったY教授は、大阪、奈良、京都、などの名寺のお住職
とも懇意で、私たちは本当に色々とお世話になりました。
押しつぶされるような脆弱な精神を近代的自我まで何とか開眼出来ましたのは
仏のような目と鷹のような目を併せ持った、Y教授の導きのおかげだったと思っ
ています。
様々なセクトに分かれ内ゲバに揺れる当時の大学内に於いて、私たちは一種独
特なサークルではありました。
お互いが追求しているものが、真剣でかつ純粋であるならば、最後には相手を
認め見守っていたように思います。
クリスマスと私を構築している近代的自我のベースと、どこでどうかち合うの
だと疑問に思われる方もおられるかと思いますが、そのような訳でさしたる矛
盾は私の内では全くないのであります。
融通無碍な心をもって「愛」を追求していけば、こんなに世の中が乱れる事は
無いように思うのです。
ただ、ツリーの出し入れが少々面倒くさくなってきているだけなのです。