3月9日(金)
昨年買った小さな沈丁花の鉢を部屋の中に入れてもらいました。
両隣に大きな沈丁花があり、春ともなれば、窓から爽やかな香りが漂って
来るのですが、それでもやはり他所の花は他所の花です。
何処に植えるの?と言われながら小さな株の沈丁花を買い求めたのでし
た。 確かに狭い我家の庭にはもう直物を植える場所とて無く、結局鉢のま
まサザンカの垣根の下で1年を経、沈丁花は一回り昨年より大きくなり、枝と
いう枝に可愛らしい半球形の花を付けました。
体が不調の際、私はほどんど物を思考することを止め、傷ついた動物のよう
に身を横たえます。
結果的にこの対処法が今まで私を存えてくれたのではないかと思うのですが、
この間、病気に臥せっていた間に雲散霧消した自己を、後で拾い集めなければ
なりません。
触覚を視覚を嗅覚を、味覚を、聴覚を、、、。
これを求めるために沈丁花を利用させて頂きました。
さて、目をつむって私を再構築していく中で、最後にどうしても私の顔が思い
浮かばないのです。
そう、顔無しです。(「千と千尋の神隠し」の顔無しにも、見ようによっては
ずいぶんと個性的な顔があったように思うのですが。)
かおなしかーと、この年になって又居たたまれない焦燥感に駆られるのは
多分風邪が治ってきた証拠です。
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